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横浜地方裁判所横須賀支部 昭和62年(ワ)225号 判決

原告

関沢勝太郎

右訴訟代理人弁護士

宮島才一

被告

社会福祉法人みどりのその

右代表者理事

新倉美登利

右訴訟代理人弁護士

髙橋孝和

高崎尚志

君山利男

主文

一  被告は原告に対し一七〇万三九六一円及びこれに対する昭和六〇年一二月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二〇分し、その一を被告の、その余を原告の各負担とする。

四  この裁判の第一項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し金六四二九万八七一六円及びこれに対する昭和六〇年一二月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が道路横断のため自転車から降りて佇立していたところ、おりから、被告が保有しその雇人が運転する自動車が後退進行して原告に衝突したという事案において、原告は被告に対し、右事故に基づく受傷による人的損害の賠償を求めるものである。

一争いがない事実等

1  原告が、昭和六〇年一二月二六日午後五時二五分ころ、神奈川県横須賀市秋谷四三一〇番地先国道一三四号先交差点において、横断のため自転車から降りて待機していた際、おりから、被告の従業員である甲野(以下「甲野」という。)の運転する普通乗用自動車(横浜五七ら××××号、以下「加害車」という。)と接触した(右を以下「本件事故」という。)こと。

2  被告が加害車を自己のため運行の用に供していたものとして自動車損害賠償保障法(以下「自賠責法」という。)三条により原告に人的損害を生じたときはこれを賠償すべき義務があること。

3  原告が、本件事故に基づく損害の填補として、自動車損害賠償責任保険金五三八万九六六〇円を受領したこと。

二争点

1  本件事故の具体的状況

(一) 原告の主張

原告が、前記事故発生場所において、同記載の国道横断のため待機していたところ、右国道に後退して加害車の後部を三崎方面に向けて進入しようとした甲野が、後方確認の注意を尽くさずそのまま後退進行したため、加害車の後部が原告に接触し、そのため原告は転倒した。

(二) 被告の主張

本件事故で、甲野運転の加害車が原告に接触したとしても、接触当時の加害車の速度は時速約二ないし三キロメートル程度であり、事故の痕跡を残していない。これらの点からみると、本件事故により原告が受けた衝撃の程度は軽かったと考えられる。

2  本件事故による原告の受傷の部位・程度、後遺障害の有無と程度、症状・状況及び右症状と本件事故との因果関係等

(一) 原告の主張

(1) 原告は、本件事故により、頸椎捻挫、腰部挫傷、左上肢・左下肢交感神経萎縮などの傷害を負った。症状固定日は、昭和六二年六月一日である。

(2) 原告には、右傷害の後遺症として、左上下肢の感覚傷害、自律神経及び知覚神経系統に著しい障害が残り、原告は仕事に全く従事できない状態であるが、これは自動車損害賠償保障法施行令別表後遺障害等級表第五級に該当する(なお、原告は、昭和六二年八月三一日に神奈川県から、傷病名を外傷による体幹部機能障害及び左上下肢マヒとする、身体障害者福祉法施行規則別表第五号の級別五級の、第二種身体障害者に認定され、身体障害者手帳の交付を受けている。)。

(二) 被告の主張

本件事故による加害者と原告の接触はごく軽微なものである。原告の受傷程度も本件事故の翌日になされた診断結果によると頸椎挫傷、腰部挫傷で約二週間の安静加療を要するというものに過ぎない。受傷の部位・程度は原告主張のようなものではない。

3  損害額

(一) 原告の主張

(1) 治療費等 一〇五万四四六〇円

イ 治療費 八三万九三四〇円

原告が昭和六〇年一二月二六日から同六二年一月二六日までの三七七日間、社会福祉法人日本医療伝道会総合病院衣笠病院(以下「衣笠病院」という。)に通院し(実日数一四七日)、昭和六一年一二月八日から同六二年六月一日までの一七六日間に、日本医科大学付属第一病院(以下「日本医科大病院」という。)に通院(実日数三八日間)するとともにその間合計九日間(昭和六二年二月一〇日から同月一三日までの四日間及び同年五月一五日から同月一九日までの五日間)入院してそれぞれ治療を受けた間に支払った治療費の合計

ロ 入院雑費 九〇〇〇円

イ記載の日本医科大病院入院中の入院雑費(一日一〇〇〇円で九日分)

ハ 通院費

① 衣笠病院への通院費

一二万九三六〇円

イ記載の期間、回数につき要した同病院への通院費(一往復あたり八八〇円)の合計

② 日本医科大病院への通院費

七万六七六〇円

イ記載の期間、回数につき要した同病院の通院費(一往復あたり二〇二〇円)の合計

(2) 休業損害 六〇九万六〇五八円

原告は、店舗の設計・施工を業とする個人商店主であり、本件事故までは、右仕事により、少なくとも原告と同年齢の労働者の平均賃金を上回る収入を得ていたとして、本件事故当時の原告の年令(四七歳)の全労働者の平均年間賃金四三〇万三一〇〇円を基礎に、本件事故日の昭和六〇年一二月二六日から症状固定日である昭和六二年六月一日までの原告休業損害を請求する。

(3) 後遺症逸失利益

三九七三万七八五八円

原告は、本件事故により自動車損害賠償保障法施行令別表後遺障害等級表第五級に相当する後遺障害を受けたとし、本件事故からの就労可能年数(満六七歳までの二〇年)を基礎として後遺症逸失利益を損害として請求する。

(4) 慰謝料 一七〇〇万円

(5) 弁護士費用 五八〇万円

(二) 被告の主張

原告の受傷は軽微なもので賠償すべき損害は発生していない。なお、原告の経営していた日商アートは事故当時損失を出していたものであって、補償すべき休業損害はない。

第三争点に対する判断

一本件事故の態様

前記争いのない事実から明らかなとおり、本件事故は交差点で道路を横断しようと待機していた原告に対し加害車が接触したものであるが、〈書証番号略〉、証人甲野の証言、原告本人尋問の結果(ただし、いずれも後記採用しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨を総合すると、右事故は加害車が、当時、後退するに際して後方確認の注意義務を怠りそのまま時速二ないし三キロメートルで後退進行したため車両後部を原告の背部に接触させ、原告をその付近に転倒させたことが認められ、右認定に反する証人甲野及び原告の各供述部分は前掲各証拠と対比していずれも採用し難く、他に右認定を左右するに足りる的確な証拠はない。

そうだとすると、本件事故によって原告になんらかの身体障害が生じたときは被告は自賠責法三条によって原告に生じた人的損害を賠償する責任がある。

二原告の受傷の有無とその部位・程度、その後の治療経過など

原告は本件事故によって、昭和六二年六月一日を症状固定とする頸椎捻挫、腰部挫傷、左上肢・左下肢交感神経萎縮などの傷害を負い、その後遺症として自動車損害賠償保障法施行令別表後遺障害等級表第五級に該当する左上下肢の感覚傷害、自律神経及び知覚神経系統の著しい障害が残存すると主張するので以下検討する。

1  〈書証番号略〉、証人乾道夫及び同草山毅の各証言、各鑑定の結果、原告本人尋問の結果(ただし後記採用しない部分を除く。)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の各事実が認められる。

(一) 衣笠病院への通院状況等

(1) 原告は、本件事故当日の昭和六〇年一二月二六日に、衣笠病院を受診し、傍脊柱筋と臀部の圧痛などを訴えた。診断によると原告にはその他中等度の体動時痛や腰椎可動域の中等度低下があったが、棘突起の圧痛や叩打痛はなく、また原告の全身状態は良好であった。同病院医師は、原告の傷害を、腰部挫傷と診断し、湿布と内服薬を投与した。原告は同月二八日にも同病院を受診し、臀部痛があり、また項部痛も出てきたと訴えた。同病院の石橋医師は同日、原告につき頸椎挫傷、腰部挫傷で二週間の安静加療を要するとの内容の同月二七日付け診断書(〈書証番号略〉)を作成した。

(2) 原告は、その後昭和六一年一月四日までは自宅で療養していたが、同日、衣笠病院を受診し、左手指のしびれ感を訴えた。原告は同月一三日に同病院を受診した際、左手指の循環が悪く、常に冷たい旨訴えた。同日、同病院の石橋医師は原告につき頸椎、腰椎挫傷で向こう一か月間の安静加療を要するとの内容の診断書(〈書証番号略〉)を作成した。原告はその後同月二一日同病院を受診した際には、項部痛があり、左手指の循環が悪いと訴えた。

(3) 原告はその後同病院に通院し、注射や投薬の治療を受け、同年三月二六日からは理学療法である頸椎牽引(同日は一三キログラム、一五分)を受け、その後も同様の治療を受けた。この間、原告は自覚症状として左上下肢しびれ、項部痛、右上肢痛、右第一ないし第三指の知覚減退ないし消失などを訴えたが、同年六月二日受診した際、上腕二頭筋、同三頭筋、膝蓋腱、アキレス腱の各反射はいずれも正常であり(〈書証番号略〉)、同病院の医師は、同月一六日、「神経学的には左腕のしびれ」と診断した。

(4) 同年七月二八日には、原告の後遺障害は頸椎捻挫、腰部挫傷と診断された(〈書証番号略〉)。右診断における診断書によれば、原告の自覚症状としては頸部痛、頸椎運動制限、左上肢血行障害、左右上肢のシビレ感、左指握力低下がある。また、精神・神経の障害、他覚症状および検査結果として、頸椎運動制限、左上肢に冷感と知覚障害が存在し、運動障害としては、頸椎部の前屈四五度、後屈三〇度、右屈三〇度、左屈三〇度、右回旋六〇度、左回旋六〇度がそれぞれ限界と判断された。

同病院の芳賀裕医師(以下「芳賀医師」という。)は、同日、原告の後遺障害について、症状固定日を同日と判定し、頸部痛及び運動制限は改善する可能性があるが左上肢の冷感に関しては現状のままと考える旨の見解を診断書に記載した。

(5) 原告はその後同年八ないし一二月に各二回ずつ、昭和六二年一月には一回(同月六日)通院し、投薬を受けたが、理学療法を含めその他の治療は受けなかった。

また、原告は、この間の昭和六一年一〇月二〇日、同病院で、再び頸椎捻挫、腰部挫傷と診断された。右診断における原告の自覚症状は頸部痛、頸椎運動制限、左上肢血行障害、左右上肢のシビレ感、左指握力低下であり、これは前記同年七月二八日の診断時と同じである。また、精神・神経症状は、頸椎の極端な運動制限、左上肢に冷感と知覚低下であり、運動障害としては、頸椎部の前屈一〇度、後屈一〇度、右屈一五度、左屈一五度、右回旋一〇度、左回旋一〇度がそれぞれ限界となった。右診断をした芳賀医師は、原告の右後遺障害の症状固定日は前記七月二八日の診断時と同様、同日と判定し、頸部痛及び運動制限、左上肢等のシビレ、冷感は固定症状と考えられ今後緩解の見通しはない旨の見解を記載した(〈書証番号略〉)。

(二) 日本医科大学病院での治療経過

(1) 原告は、本件事故からはほぼ一年後の昭和六一年一二月八日、日本医科大病院整形外科を受診した。原告は、右受診に際し、同月五日付けの石橋整形外科医院医師石橋研三作成の診療情報提供書を持参した。これには、病名頸椎捻挫、主訴として頸背部痛、右上、下肢放散痛、循環障害がある旨記載され、また、本件事故により受傷し、衣笠病院で治療中である旨の記載がある。日本医科大病院整形外科医師は、同月八日に原告につき頸椎捻挫後遺症と診断しただけで同病院麻酔科(ペインクリニック科)に転科させた(〈書証番号略〉)。

(2) 同日、同病院麻酔科の益田律子医師(以下「益田医師」という。)は原告を診察し、原告から、昭和六〇年一二月三〇日から頸部、腕、手が痛み始め、運動時には鋭い刺すようであり、睡眠に支障が出る旨訴えを受けた。同医師は、原告につき左上肢交感神経性萎縮、慢性動脈閉塞症、頸椎捻挫後遺症と診断した。

(3) 原告はその後同病院に通院し、昭和六二年二月一〇日、胸部交感神経節ブロック術の適応検査のため入院したが、同検査は、途中で原告が興奮状態となったため中止となった。原告は同月一三日に退院した。なお、このころは硬膜下ブロック術を行ったが、効果が出なかった。

(4) 同年三月二三日、原告の後遺障害は、頸椎捻挫、交感神経萎縮であると診断された。右診断における診断書(〈書証番号略〉)によれば、原告の自覚症状は左上肢血行障害及び知覚異常、頸椎運動制限、両側頸部から肩甲部痛、その精神・神経の障害、他覚症状は、頸部の運動制限、左上肢に冷感、知覚異常(シビレ、知覚低下)や血行障害(著しい低温域)、肩関節運動(左、内転)制限がある。運動障害の内容は、頸椎部の左回旋約二〇度が限界であること、自律(交感)神経系の確定性異常により左上肢に血行障害を残し軽易な労務以外の労務に服することができないことの記載がある。以上の診断をした益田医師は、原告の後遺障害の症状固定日は同日と判定し、左手掌の血行障害及び交感神経萎縮症状は数年は加療を必要と考えられるも今後緩解の見通しはない、との見解を診断書(〈書証番号略〉)に記載した。同医師は、右のほか、同年六月二九日付で、①病名頸椎捻挫後交感神経性萎縮で症状固定日同年六月一日(〈書証番号略〉)、②病名頸椎捻挫後左上肢、左下肢交感神経性萎縮で固定日は同日頃(〈書証番号略〉)という二種類の診断書を作成した。原告は同年七月一八日から同年一〇月六日までの八一日間、夏期は静養のため通院を休むとして通院を止め、その後再び通院を始めた。

(5) 同年一一月二五日、益田医師は同病院整形外科に診療を依頼し、同科医師は、二六日、後縦靱帯骨化症の疑いと診断した。同科医師は、同日、さらに放射線科に後縦靱帯骨化症の疑いにより検査を依頼し、放射線科医師は、検査結果として、画像所見上は、第六〜第七頸椎にヘルニア瘤あり、第六頸椎に嚢胞状変化あり、コンピュータ断層検査(CT)上後縦靱帯骨化症は認めない、画像診断としては、第六〜第七頸部椎間板ヘルニア、第六頸椎頸部脊椎症、と回答した(〈書証番号略〉)。

(6) 原告はその後昭和六三年三月二五日まで同病院に通院したが、その後は通院を止めた。

(三) その後の治療経過

原告はその後森田医院に通院し始め、投薬と貼り薬による治療を受けており、またこの間、後頭部から「右腕」の痛みが出たと訴え、平成元年一月三〇日、森田医院の森田医師から依頼を受けた東海大学病院中瀬古医師の診療を受けた。

以上の各事実が認められ、右認定に反する原告の供述部分は前記認定に供したその余の証拠に照らして採用できない。

2(一) 右検討してきた事実関係によると、原告は本件事故を契機として腰部痛や項部痛、更には左右上下肢のシビレ感、循環障害などを訴え、それぞれ受診した医師も原告のこれら症状は頸椎捻挫、腰部挫傷に起因すると診断したことが明らかである。本件事故前の原告は右のような症状を呈していなかったことが本件証拠上これを窺えることからすると、原告の右障害は本件事故になんらかの原因があるものと認めるのが相当である。

(二)  もっとも、草山医師の鑑定の結果及び証人草山毅の証言によれば、原告には六/七頸椎間で椎間板狭小化、五/六頸椎間の後方骨棘(X線)、三/四、四/五、五/六、六/七頸椎間の頸髄圧迫所見(MRI診断の結果)があり、これは本件事故との関係のない原告の既往症によるものであり、この点は乾医師の鑑定の結果によっても認められる。

しかし、証人草山毅の証言によれば、原告の右既往症は経年性変化によるものと考えられるが、椎間板狭小化、骨棘形成があれば事故の有無にかかわりなく必ず発症すると言うことはできず、この点は乾医師の証言によってもこれを認めるに十分である。既往症が右のように発症しないまま経過することが十分あり得ることを考慮すると、右既往症があることをもって本件事故と原告の障害との因果関係を否定することはできない。また、右既往症も経年によって自然に生じたものと推認できる以上、右既往症による原告の障害に対する寄与度を問題とするのは相当でない。

以上認定の原告に対する治療経過に照らすと、原告が実際どの程度の障害を有するかはともかくとして、本件事故によって頸椎捻挫などの人身障害を負ったことは否定できないところであって、被告は本件事故について自賠責法三条の責任を免れない。

(三)  そこで、被告の責任を前提に原告の症状固定がいつか、また後遺障害がどの程度かについて以下検討する。

原告の症状固定につては、昭和六一年七月二八日とする衣笠病院の芳賀医師の認定と、昭和六二年三月二三日もしくは同年六月一日とする日本医科大病院の益田医師の認定とがある。

芳賀医師は、これまでの原告の症状経過と昭和六一年七月二八日の診断に基づき前記症状固定日の認定をし、その後同年一〇月二〇日に再度診断した結果、原告の症状に変化がみられなかったことから改めてその認定を再度確認した。これに対し、益田医師の認定は、その判断結果に食い違いがある点のほか、本件事故から約一年後からの日本医科大病院での診断、とりわけ同医師の専門分野である麻酔科での原告のしびれや血行障害などの神経症状などに依拠して診断した結果であるに過ぎず、原告のしびれや血行障害などの神経症状を含め、その他の症状はすでに芳賀医師のもとで診断されていた症状であって、特にその後に発症したものではない。そうだとすると、益田医師の認定をもって芳賀医師の診断を左右するものとは未だいえない。なお、昭和六一年七月二八日以後の治療により原告について顕著な改善がみられたことを窺わせる事実を認定するには証人益田律子の証言だけでは足りず、他に右事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

結局、芳賀医師の原告の症状固定日に関する認定はその判断過程に欠けるところはなく十分信頼するに足りるものというべきである。

(四)  次に、原告の後遺障害とその程度であるが、原告にその症状固定日において頸部痛とその運動障害、左上肢のシビレ、冷感などの後遺障害が残存したことは証拠上これを認めるに十分である。原告は右障害の程度は自動車損害賠償保障法施行令別表後遺障害等級表の第五級に該当すると主張する。

確かに、草山医師はその鑑定結果において原告の後遺障害を主張のとおり五級としている。しかし、当裁判所が原告の日常の立ち居振る舞いを含めた稼働状況を写したビデオを検証した結果によると、原告は平成三年九月二〇日の時点では、調理材料の入った業務用の中華鍋を左手のみで持って自在に上下させて調理を行っていて、その動作からおよそ右時点で原告に障害があるとは思えない状況にあり、また、平成四年八月一二日及び一三日ころのビデオでは、原告は自己の経営する海の家でかなり重いと思われるサマーベッドを両手あるいは左手に持って歩行上かなり脚腰に負担のかかる砂浜を思いのまま歩き回り、あるときは首を左右自在に動かし、また、腰をかがめてサマーベットの表面を雑巾で相当時間にわたって拭くなどの作業をしている場面が写し出されており、その状況は原告に頸部痛を含めた叙上の障害があるとは全く認められない。また、原告は、昭和六三年四月から平成三年三月までの間、年一ないし三回航空機を使用して海外に出国するなどしている。以上の事実からみられる原告の障害の回復度にあわせ冒頭認定の本件事故が比較的軽微な事故であるといえることなどから考えると、本件事故による原告の後遺障害は遅くとも平成三年九月二〇日ころの時点においては、健常者と同様に身体の各部を支障なく自由に使用しての労働作業に従事できるほどに治癒しているものと認められる。そうだとすると、原告の後遺障害をもって『神経系統の機能に著しい障害を残し、特に軽微な労務以外の労務に服することができない』とする、前記障害等級五級に該当するとはとうてい認められない。原告の後遺障害は、同一二級の『局部に頑固な神経症状を残すもの』に該当すると認めるのが相当である。

三そこで、以上認定の事実に基づいて原告に生じた損害を検討する。

(一)  治療関係費(請求は一〇五万四四六〇円)

(1) 治療費(請求は八三万九三四〇円)

右については、前記検討したところ及び〈書証番号略〉によれば、症状固定日である昭和六一年七月二八日までの衣笠病院での治療費分合計六八万一九四〇円は本件事故により支出を余儀なくされたと認められる。しかし、症状固定日の後の治療費は、その全部が完全に本件事故と因果関係がないとは断定し難いとしても、そのいずれの部分が相当因果関係があるかを取り出して認めることもできない本件においては、結局後記慰謝料において斟酌するにとどめ、治療費として認めるのは相当でない。

(2) 入院雑費(請求は九〇〇〇円)

右は症状固定後のものであり、本件証拠上、原告の入院が原告の本件事故による傷害の治療として相当であったと認めるに足りる証拠はない。

(3) 通院交通費(請求は二〇万六一二〇円)

右は、(1)同様、昭和六一年七月二八日までの衣笠病院への実通院日数一三五日分につき本件事故との相当因果関係が認められるところ、原告が同病院に通院するについては一回につき八八〇円の交通費が必要であると認められる(原告本人尋問の結果)。したがって、一一万八八〇〇円が本件事故と相当因果関係のある損害である。前記症状固定日の後における通院交通費は前記の次第により通院治療の相当性からみて本件事故と相当因果関係のある通院交通費としてこれを認めることはできない。

(二)  休業損害(請求は六〇九万六〇五八円)

(1) 基礎とすべき収入額について

本件事故当時、原告は日商アートの屋号で従業員数名を使用して設計施工に従事していたことが認められるところ、〈書証番号略〉によれば、原告の昭和五九年度分の所得金額合計は一四一万九一六九円であるが、原告は昭和六〇年度の所得金額について三六五万〇四六〇円であったと修正申告した(〈書証番号略〉)ことが認められる。この原告の修正申告は、本件事故後である昭和六一年三月一三日提出の申告書によるものであるが、原告本人尋問および弁論の全趣旨にかんがみて右申告が著しい過少申告であるとは断定できず、〈書証番号略〉、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨から窺える原告の家族構成、生活規模などに照らして総合判断すると、原告は右設計業等によって四七歳(本件事故当時の原告の年令)の全労働者の平均賃金(年額四三〇万三一〇〇円)を下回らない収入を得ていたと認めるのが相当であって、右認定を覆すに足りる的確な証拠はない。

(2) 休業日数

本件事故後症状固定日までのうち、原告が現に休業した実日数を直接証明する証拠はないが、原告は、事故後全然仕事ができなくて休んでいたと供述し、原告が自ら提出した休業証明(〈書証番号略〉)による事故日から昭和六一年二月二八日までの六四日間欠勤し、給与は全額支給しなかったとされている。

ところで、前記症状固定日までの原告の衣笠病院への通院状況(実通院日数は、昭和六一年一月以降、一か月間に一二ないし二三日である)からして、右の休業内容は首肯できるので、原告は本件事故後症状固定日までの間は休業を余儀なくされたと認めるのが相当である。

(3) そうすると、原告はこの間次の計算式のとおり、二五三万四七〇三円の得べかりし利益を失ったと認める。

(計算式)4,303,100×215÷365

=2,534,703

(三)  後遺症逸失利益(請求額は三九七三万七八五八円)

原告の後遺障害の内容、程度は前記認定のとおりであるが、そこで検討したところに照らし、原告の後遺障害による労働能力喪失割合は一四パーセントであり、労働能力喪失期間は前記認定の原告の症状経過に照らして症状固定日から五年間を超えないものと認めるのが相当である。そして、原告が本件事故当時得ていた収入額は前記認定のとおりであるから、右の期間に原告が失うことになる利益の総額からライプニッツ式計算により中間利息を控除して後遺障害による逸失利益の症状固定日における現価を算出すると、次の計算式のとおり、二六〇万八一七八円となる。

(計算式)4,303,100×0.14×4.3294

=2,608,178

(四)  慰謝料(請求額は一七〇〇万円)

原告は症状固定日まで一三五日衣笠病院に通院しているので、原告の傷害内容と治療内容に照らし、この間の通院慰謝料としては七〇万円が相当である。また、原告の後遺症慰謝料としては、労働能力喪失期間が原告の就労可能年数(二〇年)の四分の一と認められること、その他前示した諸事情に照らし、三〇万円が相当である。

したがって、右合計一〇〇万円が慰謝料相当額と認められ、右認定を左右するに足りる的確な証拠はない。

(五)  原告が本件事故に対する損害の填補として、自動車損害賠償責任保険金五三八万九六六〇円を受領したことは当事者間に争いがないところ、右(一)ないし(四)の合計は六九四万三六二一円であるから、右金額から既払分を差し引くと、原告の残損害額(後記弁護士費用を除く)は一五五万三九六一円となる。

(六)  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告が被告に対して本件事故による損害として賠償を求め得る相当因果関係のある弁護士費用の額は一五万円とするのが相当である。

四結論

したがって、原告の本訴請求は、右三(五)(六)の合計一七〇万三九六一円とこれに対する本件事故の翌日である昭和六〇年一二月二七日から支払済みまでの遅延損害金を求める限度で理由があり、その余は失当である。

(裁判長裁判官神田正夫 裁判官稲田龍樹 裁判官橋本一)

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